母校沿革

昭和13年〜昭和30年 昭和31年〜昭和40年 昭和41年〜昭和50年
昭和51年〜昭和63年 平成元年〜平成10年 平成11年〜平成18年
平成21年〜    
昭和13年〜昭和30年
13年 8月 母校創立者岩崎清一氏、岩崎通信機株式会社を設立
14年 5月 岩崎通信機株式会社、本社事務部門を東京市渋谷区代々木上原町に存置し、生産部門を東京市世田谷区烏山町の新工場に開設。岩崎通信機青年学校の設置を文部省に申請
  6月 岩崎通信機青年学校の設置認可される
16年 4月 烏山町に新たに用地を取得し校舎を建設、岩崎通信機青年学校を開設。また翌年、社内に女子工員を対象とする私立青年学校岩崎実践女学校を併設
  12月 8日 太平洋戦争はじまる
17年 5月 岩崎通信機、久我山台上に5万坪の用地を取得
  9月 岩崎清一氏、青少年教育の重大性を痛感し、石渡荘太郎氏(元大蔵大臣、当時大蔵・外務両省顧問)、船田中氏(当時日本商工会議所理事、戦後防衛庁長官、衆議院議長)に諮って賛意を得、敷地を久我山台上に定めて中学校令による学校の設立に着手。
学園開設準備委員を佐々木周二氏等に委嘱
18年 1月 財団法人岩崎学園設立認可申請書ならびに久我山中学校設立認可申請書を文部省に提出
  9月 29日 財団法人岩崎学園の設立および久我山中学校設置の件認可される
  10月 服部教一氏、久我山中学校初代校長に就任
  12月 岩崎学園校舎ほぼ完成
19年 2月 11日 岩崎学園第1回役員会を開催
  3月 久我山中学校第1回入学考査を実施(募集人員第1学年250名 志願者数702名 入学許可307名)
  4月 服部教一氏、久我山中学校校長を辞任。落合盛吉氏、同校長に就任
  4月 5日 財団法人岩崎学園久我山中学校開校式ならびに第1回入学式を挙行
  5月 久我山中学校報国団団則制定。久我山中学校後援会を設置
  10月 10月20日を財団法人岩崎学園創立記念日と定め、記念式典を挙行
  10月 29日 久我山中学校校旗を制定し授与式を挙行
  11月 3日 久我山中学校第1回運動会を開催。この頃、武道場ほぼ完成
20年 3月 18日 政府、決戦教育措置要項を発令
  3月 米軍空襲の間隙をぬって、久我山中学校、昭和20年度入学考査を実施
  3月 岩崎清一氏、「学園三箴」を定める
  4月 久我山中学校、昭和20年度入学式挙行
  8月 15日 ポツダム宣言の受諾により、太平洋戦争終る
  9月 久我山中学校校友会会則を成文化
21年 6月 食糧危機のため6月14日より7月14日まで1か月間の臨時休校を決定
22年 3月 31日 教育基本法施行
  4月 1日 学校教育法に基づく学制改革により新制久我山中学校を設置
  5月 3日 日本国憲法施行
  11月 三坂耿一郎教諭、第2回日展彫塑部に出品の塑像「青年座像」特選となる。同展後、「青年の像」として母校の正面玄関に設置
23年 1月 生徒有志、生徒会を結成
  3月 新制久我山高等学校設置
  3月 久我山中学校第1回卒業式を挙行
  4月 新制久我山高等学校ならびに中学校女子部を開設
  4月 15日 新制久我山中学校入学式ならびに新制久我山高等学校開校式・入学式挙行
  5月 初の「久我山祭」を開催
  7月 校友会新聞部「久我山新聞」創刊号を発行
24年 1月 生徒会規約改正、施行
  3月 20日 財団法人岩崎学園の名称を財団法人久我山学園に変更の件認可
  3月 新制久我山大学工学部の設置認可される
  3月 落合盛吉氏、久我山高等学校長ならびに同中学校長を辞任、久我山大学学長大橋幹一氏、両校校長を兼任
  5月 高等学校第3学年、母校初の関西方面修学旅行実施
  5月 久我山大学開学式を挙行
  8月 31日 佐々木周二氏、久我山高等学校長ならびに同中学校長事務取扱に就任
  10月 久我山学園創立5周年記念式典ならびに同記念祭を挙行
  11月 1日 佐々木周二氏、久我山高等学校長ならびに同中学校長に就任
25年 1月 中学校女子部、烏山校舎から久我山の本校舎に移転完了
  2月 20日 鈴木周三教諭、校務出張の途上、交通事故のため急逝。 22日 その校葬を北烏山の西蓮寺において執行
  3月 久我山高等学校第1回卒業式を挙行
  6月 図書館(木造平屋建)竣工
  6月 同窓会、第1回定例総会を母校において開催
  11月 久我山大学、廃止
26年 3月 財団法人久我山学園を学校法人久我山学園に組織変更の件認可
  3月 久我山中学校女子部、廃止
  9月 対日講和条約・日米安全保障条約調印
27年 3月 久我山中学校生徒募集を一時中止
  5月 校長佐々木周二氏、久我山学園理事長岩崎清一氏の委任を受け、國學院大學理事松尾三郎氏・同小林武治氏と会談、両学校法人の合併に関する交渉を開始
  8月 学校法人國學院大學理事会、学校法人久我山学園との合併を決定
  9月 10日 國學院大學理事長・学長石川岩吉氏、久我山学園に来校し合併を宣言、校名を國學院大學久我山高等学校・國學院大學久我山中学校と改称
  9月 國學院大學久我山高等学校・同中学校の校章改定
  12月 23日 学校法人國學院大學と学校法人久我山学園との合併の件、文部省により認可。岩崎清一氏、学校法人久我山学園解消のため同理事長を辞任し、学校法人國學院大學顧問に就任
28年 2月 NHKテレビ本放送開始
  4月 國學院大學久我山分校開設
  10月 武道場を柔・剣道場に二分する改修工事成り、柔道場開きを挙行
第1回中学校招待柔道大会を実施、以後、昭和37年まで10回に及ぶ
29年 1月 希望者の参加により初の寒稽古を実施、以後、恒例の寒稽古となる
  3月 國學院大學久我山中学校生徒募集を再開
  6月 旧図書館を國學院大學図書館久我山分館と改称、開館式を挙行
  11月 2日 國學院大學久我山高等学校創立10周年記念式典を母校において挙行。
3日 同記念秋季大運動会を母校校庭において挙行。 5日 同記念講演会開催、母校関係物故者慰霊祭を執行。 6日 記念芸能祭を神田共立講堂において開催
30年 10月 柔道を体育科正課授業に採用する
  11月 第2学年に移行した関西修学旅行を実施
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