久我山会からのお知らせ

三期生、卒業後60年連続の同期会を開催!!
3期会
 
思えば遠くへ来たもんだ ふるさとはなれて6年目  そーじゃないでしょ!
思えば長く続けたもんだ 久我山はなれて60年

 そうです。久我山三才馬(三期生)は卒業以来一度も欠かす事無く、5月のダービー前日、同期会を続けてまいりました。第一回目は母校の教室をお借りしての開催でした。あれから60年、本当に長く続けたものです。

 今回も、母校から岡部校長先生と今井教頭先生、(恩師白山先生体調不良でご欠席)、 同窓会からは 岸会長と宮阪副会長のご来駕を仰ぎ、窓外天空には開業間もないスカイツリーや東京タワーが見え、 眼下には 若葉萌ゆる代々木の森を配す絶景の小田急ホテル センチュリーサザンタワー21階のイーストルムにて開催致しました。

 会は同期物故者に黙祷を捧げた後、岡部校長先生・岸同窓会長のご挨拶を頂き、今井教頭先生のご発声で乾杯となりました。毎年のこととは申すものの 一同に会しますと昔話や 現況の悲喜交々の話に花が咲き、時を忘れる程でした。60回記念として、厚労省発表の資料を使い「余命・寿命の解説」を大須賀幹事が致しましたが、これからの人生のお役に立つことと思います。又少ない予算の中から『銘店・梅花亭』の紅白饅頭を全員にお土産としてお持ち帰り願ったり、ささやかではありましたが節目の同期会らしく致しました。終宴間近に宮阪副会長から同窓会の現況を交えたスピーチを頂き、最後に恒例の 締め男・煖エ実の 三本締めで閉会となりました。

 話は変わりますが15回〜25回頃でしょうか、開催通知が不尋当での戻りが目立ちはじめた頃です。「ゲーペーウー(ロシア・ソビエト時代の秘密警察)」と言われるほどしつこく執念深く、転居先・移動先を追い駆けた人物・菅生次男が居りまして、ある時は電話で、又ある時は実家や勤め先へ、夜となく昼となく日曜・祝日 関係なく「追いかけて・追い駆けて オイカケテユキ…」、そうして現在の名簿の基礎が出来上がったのです。

 佐藤三木雄先生(元校長)の口癖で『俺がやらねば誰がやる』と言うお言葉がありましたが、我々三期の幹事は毎年新幹事が指名されます。拒否権は全くありません。そして『俺がやらねば誰がやる』の精神に基づき、指名された幹事は誠心誠意、粉骨砕身? 努力し、準備して、会を盛り上げるのであります。これが60回まで続けることが出来た根本理念でしょー。

 同窓会の皆様、我々三期生は同期会を今後も5年(85歳前後)・10年(90歳前後)と続けます。もしお知りになりたい事がありましたら お尋ね下さい。 呆けない内に誠心誠意お答え致します。

 これを持ちまして、60回同期会の開催ご報告を終わります。駄文乱文のご精読誠に有誠に難う御座いました。皆々様のご健康を 心から祈念致します。

(報告:本年幹事=大須賀俊貮・堀井胖・斎藤稔)
 
3期同期会   3期同期会
▲正面に霞む東京スカイツリー   ▲来賓挨拶の岡部校長と今井教頭(右)
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▲本年幹事の大須賀氏(左)と堀井氏   ▲同じく幹事の齋藤氏
3期同期会   3期同期会
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